: 何代か前 :

 困った時にここに来ることになるよ、と怪しげな名刺を置いて、そのまま店に顔を出さなかった男が死んだ事を知らされた。知らせに来たのは小さな女の子で、当然私がその子に見覚えがあるはずも無く、初め彼女が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。何せ私は名刺の男の事などすっかり忘れており(いちいち客を覚えていたのでは商売に支障をきたす)、少女の首にふわりと巻かれたショールに染め抜かれた、籠に入った星の柄を見てようやく、ああそんな柄の羽織を着た男が前に来たな、と朧に思い出した位なのだ。そもそも私が人を思い出すのは珍しく、その男に関しては、その羽織の柄と私の入っている店の羽織の柄とが似ていたため、少し覚えていたのだろう(この店の柄は籠に魚だ)。
 少女は男の死亡を伝え、これから葬式です、と言って私の手を引いた。訳の分からないまま私は少女に手を引かれて店の外に出た。そしてまだ幼い女の子に引っ張られて行くという情けない姿をご近所に晒した訳だが、この近辺にそんな事をいちいち気に留めるような人々は居ない。
 少女に手を引かれ、たどり着いたのは墓地だった。まるで集合住宅のように整然と墓石が並んでいる。その中のひとつの墓石の裏に案内された。墓石の後ろには既に何人かが輪になって座っていた。空席がふたつ。少女と私の席だろう。勧められるままに空いている席に腰を下ろした。薄いズボンの下に、湿ってひんやりとした土の感触。「では、」と少女が口を開いた。「では、遺言です。俺が死んだら同封のリストに書かれた奴らに俺を分配してくれ、もちろんリストの通りに。以上です。では、これから故人の分配を行いたいと思います。皆様、お手をお出しください」少女に言われるままに左手を出した。他の客もそれぞれ手の平を上に、手を突き出している。暗闇に浮かび上がる手、手、手。互いの顔も見えないというのに、手だけが嫌に白く浮き上がっていた。
 少女が更に続ける。「本来であればお一人様おひとつなのですが、今回は人数も少ないので、お一人様ふたつとなります」ここで、おお、というどよめき、控えめな拍手。参列者は私を入れて、少女を除いて9人。人間と言うのは18個にも意味を持たせて分けられるのだな、と訳の分からないことを考えた。「それでは故人を分配致します」少女が言って、反時計回りに桐製の小箱を2つづつ渡していった。私が最後だった。少女が渡したものを読み上げる。それによるとどうやら私に配られたのは心臓と魂のようだ。あちこちから、それは不公平ではないか、うらやましい、とブーイング。それに対し、少女は言った。「魂と言いましても、彼そのものではありません。器官から切り離された魂は、彼と似たような性質を持つ、彼のような何か、です。記憶や仕草等は、脳、その他各部位に残っています」それを聞いて、彼らは納得したようだ。大事そうにふたつの箱を抱えて、鬼灯に火を灯して墓石のところに置いて去っていった。
 私は不注意なことに、鬼灯を持ってこなかった。と言うより、そんな準備すら出来ないままに少女に連れて来られたのだ。どうしたものか、と立ち尽くしていると、少女に袖を引かれた。「あなたに関しては、特別の指示があるのです」そう云ってじっと見つめてくる瞳は黒曜石の墓石のような艶やかな黒。またしても私は少女に引かれて移動していた。
 たどり着いたのは大きな屋敷だった。門前で立ち尽くす私に、少女が言った。「あなたに関して、故人は遺書を特別に作っております。読み上げます。以前言った通り、君は困っていてここ(俺の屋敷)に来た事だろう。この家にはそこにいる女の子とあと1人居る。その子でない方は特に君の気に入ると思う。仕事の説明は追々見つけると思うからここには書かない。俺の心臓と魂は持ってる?手が足りないと思ったら、というより足りないだろうから、その時はそれを使うと良い。ちなみに、女の子の方は急ごしらえだから、悪いけどすぐに崩れてしまうよ。以上です。彼はこの家を仕事ごとあなたに継がせようとしてますが、いかがですか?」少女は読み上げた後、小首を傾げて質問を投げかけた。私は、その時確かに困っていた(店に全く客が来なくなっていたのだ。そろそろ逃げ出したいと思っていた)ので、ありがたく同意した。直後、かしゃんと音を立てて、少女は地に崩れてしまった。
 屋敷に入ると、「もう1人」に分厚い本を渡された。これが仕事の説明だという。読んでみると確かにそうだった。分かりやすい。彼は、死んだ主人の言う通り、確かに私の気に入った。絹のようにさらりとした髪、星空を映すような瞳、黒い袖からのぞくほそい手首。成る程、彼とは相当趣味が合ったらしい。家の調度品から何からも、全てしっくりと馴染んだ(若しくは彼が私に合わせて全て作り変えたのかもしれない)。仕事に関しては、「もう1人」を参考にすれば良い、と最後にくくられていたので、その通りにして試しに助手を作ってみた。彼の魂と心臓を使ったため、この家にあわせてよく働く。
 仕事は私の手に良く馴染んだ。今までやったことの無い仕事だったが。そして屋敷に来る誰もが、私と「もう1人」が故人の子供で、ふたりが兄弟だと信じて疑わなかった。ので、私も別段否定もせずにそのまま過ごした(私は客に言われて初めて「もう1人」の名前を知ったのだった。彼はソウヤだという。彼は私の「弟」になった)。そうして今まで暮らしている。もう十何年か。
 何年か前、門の内側に赤ん坊が置かれていた。今は奥の部屋で勉強している。彼は私の「弟」がいたくお気に入りのようだ。まだまだ時間がかかるが、私も自分の分割についてそろそろ考えなくてはならないだろう。さて、そろそろ仕事用の硝子目玉の緑が無くなりかけているのだった。作り足さなくてはいけない。

 :終: