: 写真のこと・おまけ :

 山を下った私たちは、そのまままっすぐ帰路についた。帰りついたのは午後8時辺りで、このまま夕飯もどちらかの家で済ませてしまおうということになった。彼の家はテーブルが壊れていて不便だというので、私の家へ車をつける。彼は途中のコンビニで酒を何本か買っていたので、どうやらこのまま泊まっていくつもりらしい。昨日大怪我をしたばかりの人間が酒を飲んでもいいのだろうか。具合が悪くなっても自己責任にしてもらおう。

「相変わらず、幽霊屋敷みてーな家だな」
「伯父なんかはまだそう思っているみたいだぞ。そうじゃなかったら私が管理なんてしていない」
「だよなぁ……」
「まあ、爺さんも、私がここに住むのを予想してたんじゃないかな」
「預言者かよ。そういや、お前の爺さんも変だったよな」
「あの人は面白い人だった」

 幽霊屋敷と称された我が家の鍵を開ける。それほど不気味には見えないと思うのだが、近代建築の住宅の多い中で、雑木林を有した木造の家というのは珍しいのだろう。よく近所の子供達が忍び込もうと目を輝かせている。中は至って普通の住宅なのだが。
 靴を脱いで上がりこむと、彼は勝手知ったもので、すぐに台所に向かって、冷蔵庫を開け、買ったばかりの酒を中に入れ始めた。

「その調子で夕飯も作ってくれるとありがたいんだが」
「今日食材持ってきてねえし、面倒」
「上がりこんでおいてよく言う」
「お前だって、俺の家に来る時はそうだろうが」
「まあ確かに……面倒だから冷麦で良いだろ」
「あー、全然大丈夫。胡麻?」
「入れたければ冷蔵庫に入ってる。時間はかからないから、使うなら出しておけ」
「おー」

 できた冷麦を茶の間に持って行くと、彼はもう既に酒の缶を開けていた。食器類を全て出して並べてから、私も自分の分をとりに台所へ戻った。茶の間に戻ると、今度は彼は既に盛られた冷麦に箸を伸ばしている。わざとため息をついて、向かい側に座り、箸を取る。

「少し待つとか、そういうのは無いのか?」
「無理。良いだろ、別に。そんな礼儀とか要るような相手か?」
「別に良いけどな……お前に我慢ができるとも思えないし」
「だろ?ま、何にせよお疲れ」
「うまく行って良かったな」

 缶ビールを合わせて軽い乾杯をする。彼の方の缶からはとても軽い音がした。わずかに残った中身を飲み干して、彼は腰を上げた。もう2本目に手をつけるらしい。

「あまり血の巡りを良くするなよ、怪我人」
「逃げ足と怪我の治りだけは早いからな、心配無用だ」
「どうだか……歳は考えろよ」
「いや、そんな歳じゃねーだろ……流石に20代前半とまでは言わねえけどさ……せめて40とかになってから言おうぜそういうことは」

 ぶつぶつ言いながら、彼は追加の缶ビールを持って戻ってきた。抜け目なく、冷麦を茹でている途中で切って冷やしておいてた西瓜まで出してきている。

「で、そろそろ今日の数々の意味不明な行動の訳を知りたいんだがな」
「話しても良いが、食事時に……いや、そんなこと気にして食欲が落ちる奴じゃないか」
「そうそう」
「何から聞きたいんだ?」
「とりあえず……何であんな所で全裸だ」
「そこだけだと面倒だな。まとめて話すから、それで理解して質問も減らしてくれ」
「わかりやすく頼む」
「そうだな……じゃあ、ここから話すか。山に入る前に、白い服一式を買わせて、それと写真、お前の血のついた包帯とを一緒に入れておいたろ?」
「ああ、あれな」
「あれは、包帯にお前の身代わりをさせているんだ。それが接している服は、お前自身が着ている服ということにする。それを、彼らの現時点で唯一の、村の外に出るための媒介、彼らのテリトリーに繋がっている写真と一緒に包む」
「それでどうなるんだ」
「すると、風呂敷包という外界と隔てられた空間の中では、彼らがその時点でお前について得られる情報は、一緒に包まれている包帯と、衣服のみになる。その一片の情報だけが、お前そのものだと彼らに認識させることができる。だから私はそれから、お前に風呂敷包を触らせていないだろう?私自身も、それから風呂敷を広げはしたが中身には一度も触れていない」
「その一片以上の情報を与えないためにか」
「そうだ。一度全部脱いでから風呂敷の上で着替えろといったのもそのためだ。現在着ている服の情報を与えてやる必要はない。情報を上書きしたまっさらな衣服で、一度廃村に踏み込んだお前が写真を返すのが一番手っ取り早いんだよ」
「おお……なるほど」
「それで、帰ってきてまた風呂敷の上で包帯を含めて全部脱いで、風呂敷の外に出た所でお前自体をご神水で清めると、彼らが持つお前の情報はもう、風呂敷の上に残した衣類しかなくなる。そこで、清められて何の痕跡も持たない木材と、熾したての火でもってそれを燃やす。すると、彼らの持つお前の情報は全てなくなる。彼らと、お前の繋がりは切れる、と、そういうわけだ」
「だから、何も落としてくるなと言ったんだな」
「そういうことだ。頭にタオル巻いてて良かったな」
「……それは俺の抜け毛が多いって事か?」
「違うのか?」
「バカ言え、抜けてねえよ」
「抜けそうではあるが」
「勝手に人の毛髪の将来を決めるな」

 ここまで話して、手元の缶が軽くなっているのに気づいた。冷麦もなくなったので、食器を下げがてら、追加の缶ビールとつまみを取りに行く。何か言いたそうな視線を背中に感じたので、自分のもの以外に一本缶を取り出して戻る。

「おう、サンキュ」
「肥るぞ」
「消費するから大丈夫。で、振り返るな、ってのは何だったんだ?」
「ああ……まあ、それも繋がりを切る一環ではあるんだが……嫌だろう?」
「何が」
「お前が部屋で彼らを見た時、印象がぼんやりしてたって言ったろ?」
「ああ、言った」
「ぼんやりして見えたんじゃなくて、そもそも、無かったんだ」
「無い?」
「確固とした目鼻立ちが無い。土塊でできているようなものだったんだよ。細かい判別のしようがない。どこも黒ずんで、ぐずぐずで、口も鼻も眼孔も、ただの穴だ。お前が見たのは、そういうものだ。普段そういうものがはっきり見えないと、脳が理解できなくて、ぼんやりした、という印象になるのさ。流石に、日中で、情報も入ってたら、そうは見えない。そんな奴らが自分の背後に、群れになってひしめいていたり、するすると近寄ってくるのを見るのは嫌だろう?だから振り向かせなかったんだよ」
「いや、だったら言うなよ、そこまで言うなよ……!リアルに想像しちまったじゃねえか。何?そんなんだったの?俺の背後」
「そんなんだったな。まあ、安心しろ、あの石柱からこっちにはもう彼らは来ないから」
「ならいいんだが……あ、声は」
「……聞きたいか?お前にどこまで聞こえていたかは知らないが」
「くぐもっててよく解らなかったが……いや、いい、言わなくていい」
「懸命な判断だな」
「ていうか聞こえてたんじゃねえか」
「あそこで聞こえたと言った所で何の得にもならん。あの手合いは無視して、無いものとして扱うのが一番だ」
「なるほどなぁ」

 聞きたいことはほとんどなくなったようで、彼はビールとつまみを消費することに専念している。とても、普通の人間にとっては非日常的な出来事を経てすぐの人間の落ち着きようとは思えないが、彼くらい鈍感だとそれも不思議ではないのか。案外、私が手を貸さなくとも、自力で何とかなっていたかも知れない。異常な環境下で、得体の知れない闖入者がテーブルを壊したことで頭に血が上って対面しようとする男だ。力技で何とかできても不思議はないかもしれない。無知無自覚というのは稀に最強の装備になる。
 ただ、自力で何とかされてしまうと、こちらとしてはつまらないことこの上ないのだが。

「……何だよ」
「いや、また何かあったり、どこか面白そうな所に行くときは連絡してくれ」
「それは心配か?」
「そんなようなものだ」
「素直に喜んでいいのか悩むな……」
「なんだ、友人甲斐のない」
「だってお前さっきの視線は、どう解釈しても今の言葉の表面の意味とは相容れない」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「お前が楽しみたいだけだろ?」
「…………3割だな」
「どっちが?なあ、どっちが3割だ」
「察しろ」

 ぐずぐずと何事かを呟いている彼を放置して、風呂の給湯スイッチを入れに腰を上げる。
 茶の間に戻ると、まだぶつぶつ言っていた。自分の無感覚に無自覚な彼のことだ、これからも自分で何とかしないで連絡を入れてくれるだろう。これからも楽しめると思うと、つくづく良い友人を持ったものだと思う。

(心配が7割であってほしい……)
(安心しろ、お前は良い友人だよ)
(全く安心できない!)

 :終: