: おやすみなさい :

 白い部屋の中に君が立っている。空を写しとったような水色のワンピースの裾をふわりと揺らして、涼し気な顔をして、白い部屋の、壁だか床だか、僕に対して直角に立っている。
 僕が床に立っているなら、君は壁に立っているのだろう。君が床に立っているのなら、僕が立っているのが壁なんだろうけど。この白い部屋には窓も扉もない。電球も火も無いのに、この部屋の中は明るい。箱の中なのかも知れない。でも、蓋の切れ目も僕には見つけられなかった。
 君が歌を歌い始める。透き通る水みたいな声で、僕が一度も聞いたことのないような旋律だ。君の口からは音符が絶え間なく飛び出てくる。それが僕の体に入り込んで、ぱちぱちと心臓で弾ける。床に当たると、そこに小さい綺麗な花が咲く。ドライフラワーみたいにぱりぱりの花だった。くすんだ桃色が、部屋いっぱいにあふれ出すのを、僕はずっと見ている。四角い白い部屋の中は、いつの間にか草原の花畑のようになっている。
 君がステップを踏んで、不思議な踊りをおどる。空色のスカートが広がって、四方を包む。君のワンピースは空になる。
 部屋の天井が抜ける。部屋の外へと空が流れ出す。
 僕が立つ床も抜ける。床に溜まった花が零れ落ちる。
 四方の壁が花弁のように開く。僕は君が作った空に投げ出される。
 着地した先は、君が作った草原だ。今や、君のワンピースは空になってしまった。君はさっきまで部屋にいっぱいにあふれていたくすんだ桃色のドレスを着て、僕の横に立っている。
 透明な風が吹き抜けていった。水が体の中を通り抜けるような感覚。風が通った瞬間、心臓の真上、僕の着ている白いシャツから、白い蝶が翅を広げて飛び立った。君の歌の名残が、風に乗って飛んでゆくのを見送る。
 君が笑いながら拍手をする。いつの間にか君の服は、夜空の紺色に染まっていた。服のそこここで星が輝いているのも見える。風が吹くたび、スカートの裾から夜の色が流れて、空の色を塗り替えていく。風が当たると、君の服の星は、弾けるように強く光った。
 空が夕暮れを待たずに夜の色に染まっていく。弾けた星が空を飾る。君は夜を作り出した。
 流れ星がひとつ、空を走る。それは地面に当たって跳ねて、君の体に飛び込んだ。もうひとつ、ふたつと次々と流星が走って、次々と君の体の中に溜まっていく。次第に君は内側から光り始める。吐息がきらきらと星屑をまぶしたみたいに光る。
 君の明るさはみるみるうちに高まって、もう、君は人のかたちをした光になってしまった。
 くるりと回って翻る髪や、広げた腕の指先が描く軌跡は光の粒を辺りに散らして、草原を踏む素足のステップからは細かな星が爆ぜる。
 3度回ると、君はぱちんと弾けて、たくさんの光の粒になってしまった。緩い風にゆらゆらと揺れて、だんだん空気中に広がっていく。僕の周りに、土星の輪っかみたいに広がる。
 一瞬ぴたりと全ての光の粒の動きが止まる。そして、放射線状にものすごい速さで君の光の輪は広がっていった。僕の鼓動に合わせて、外側から一列ずつ、水面と水滴がつくる波紋のように。
 最後の一列が僕から離れて、広がってゆく。足元の草原も、頭上の空も巻き込んで、世界を連れて、君は遠くへ行ってしまった。地平線で全てが消えた。
 白一色に戻った世界で、光になってしまった君はもう見えない。君が居なくなって、壁もなくなってしまった世界は妙に寒々しい。
 僕は君が消えていった夜を求めて、目を閉じる。まぶたの裏に星が見えることを僕は知っている。体の中に夜の空があることを、僕は知っている。目を開けても、何も無い場所だ。ならば、もう目を開ける理由は無い。

(ほら、星の向こうに、君が見えるよ)

 :終:

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