: 写真のこと・後 :

 山に入る前に、準備するものがある。幸い、まだ正午を過ぎてそれほど経っていない。向こうには夜までに着けばいいのだから、時間は充分にある。
 まずは、近所の量販店で白い服と下着、手袋とタオル、バスタオルを買わせた。

「どれでも良いのか?」
「なるべく動きやすいほうが良いけど……そのジャージでいいだろ」
「白?」
「白だ。靴もな。ああ、あとあまり高価なものは買わないほうがいいぞ」
「どうして」
「後になれば分かる」

 バスタオル以外の買った衣類を車の中で開け、白い風呂敷で、件の廃村の写真とネガの入った半紙の包みと共に包んだ。ジャージのポケットに、彼が腕に巻いている包帯の、血の滲んだ部分を切り取ったものを入れておく。
 ホームセンターで安いアルミのポールと薄い大きな布を、薬局でガーゼと包帯を買う。
 最後に、懇意にしている神社の神主から、ご神水と清めた後に乾燥させた樹の枝を適量、足袋と草履を一足譲ってもらう。

「こんなんどうするんだよ」
「後始末に使うんだよ」

 ここまでで必要なものは概ね揃った。風呂敷包みと他のものが触れ合わないように後部座席に置いて、彼の案内に従って山へ向かう。腕を怪我している人間に運転はさせられないし、彼には体力を蓄えておいて貰わないと困るため、運転は全て私がすることにした。彼は始終不安そうに私の方を見ていた。失礼な男だ。
 山の麓の町に着いたのは夕暮れ前で、流石にこの時間から山に入るのは危険極まりないので、宿をとることにした。先日彼が断られた宿は気まずいというので、駅前のビジネスホテルを使用することにした。代金はもちろん彼持ちである。

「それじゃ、明日に備えてよく休めよ」
「本当に大丈夫なんだろうな」
「お前の体力次第だな」
「じゃあ早速休む」
「そうした方がいい。じゃあ、また明日」
「おう」

 翌朝、チェックアウトを済ませて、また助手席に彼を乗せて、案内をしてもらって山に入る。
 歩きでたどり着いたと言うので、一番近い場所に車を止めた。山越えの道の途中の休憩用の駐車場なのだが、奥の柵を越えたところには、確かに細く古いが、道があった。よくこんな道を発見して、進もうと思ったものだ。

「もう行くのか?」
「いや、まだだ。準備があるからな」
「準備?」

 後部座席から白い衣服一式を包んだ風呂敷を取り出し、後部ドアの片方を開け放して、出てすぐの地面に広げる。次に、その周りに、アルミのポール4本で3面に布を張って、簡易更衣室のようにする。

「じゃあ、この風呂敷の上で着替えてくれ。車の中で一旦全部脱いでから風呂敷の上に立つように」
「えっ、一旦全裸?何それ俺変態みたいじゃねえか」
「それが一番確実なんだよ。それに、わざわざ目隠しまで作ったんだ、車が通っても見えないようにな。いいからさっさと着替えろ」
「はいはい……」

 しばらくして着替え終わったと声がかかったので、簡易更衣室を撤去して、車の中にしまう。風呂敷は畳んで、私が持つ。

「……全身白い服で、頭にタオルまで巻いてる男というのは、面白いな」
「いや、お前がこれにしろって言ったんだからな。いっそお前が着ろ。面白い事になれ」
「嫌だ」

 車の鍵を閉めて、柵を越え、小道へ分け入った。
 道は古いが、曲がりながら続いているのが分かる程度にはしっかりとしていた。道は下り坂になっていて、平坦になる頃には、もう振り返っても駐車場は見えなかった。平坦になったところからしばらく歩くと、道の両脇に、1メートルほどの石柱が一本ずつ立っているのが見えた。その3メートルほど手前で止まる。奥のほうに、廃村の一部が見えた。

「いいか?あそこの石柱を超えたらもう彼らのテリトリーだ。行きは大丈夫だが、写真を祠に戻して、鳥居をくぐったら、全力で走って戻って来い。祠に向かうときも、鳥居は必ずくぐれ。途中で落し物はするなよ。髪の毛一本でも落としたら終わりだからな。それと、手袋は外さないこと」
「怪我人にハードル高いこと要求しやがる……」
「死にたいなら、手を抜いたっていいさ」
「う……まあ、せいぜい必死こいて走ってくるさ……」
「ああ、頑張れよ」
「サポートくらいしてくれんだろ?」
「友人をみすみす殺す趣味はない。ほら、早く行ってこい」
「どうだかなぁ……」
「ああ、ひとつ言い忘れたが」
「何だよ」
「石柱を超えて、鳥居をくぐるまでと、鳥居を抜けて、ここまで戻ってくるまでの間、絶対に後ろを振り返るんじゃないぞ。何があっても振り向くな」
「……了解」

 彼はしっかりとした足取りで、村の方へ向かっていった。次第に姿が見えなくなる。
 15分ほど経って、奥から足音が聞こえた。どうやら必死に走っているらしい。彼の姿が見える前に、近くの樹の若い枝を折りとる。その直後に、彼の姿が見えた。みるみる間に近づいてきて、石柱を越えた。そのままのスピードでこちらに突っ込んで来た。私の隣を通り過ぎたタイミングで、折りとった若木で道幅いっぱいに横一本の線を引く。線の此方側に枝を捨てて、そのまま私も村に背を向けて、彼の方へ進む。

「お疲れ」
「と、年甲斐もなく全力疾走しちまった……」
「落し物もしなかったようだし、よくやったな。歩けるか?」
「まあ、何とか」
「じゃあ、絶対に振り向かないように、戻るぞ」
「了解」

 私も彼も、振り返らずに駐車場までの道を登る。途中で、彼が足を止めた。

「……なあ、何か言った?」
「言わない」
「じゃあ……何か聞こえねえ?」
「聞こえない」
「……だよ、な」
「振り返ったら殺すからな」
「なにそれ怖い」

 その後も何度か立ち止まろうとする大馬鹿者を指導しながら何とか駐車場に戻る事ができた。
 彼が馬鹿なことをしでかす前に、戻ってきた道と車を挟んで立たせる。彼の横に畳んで持っていた風呂敷を地面に広げて、その周りに、先ほどの倍位の広さで簡易更衣室を作る。

「……またこの上でまっ裸か」
「そうだな」
「マジかー……」
「全部脱いだら、そこのサンダル履いて、そっちの空いてる方に立っててくれ」
「服はそのままで良いのか?」
「風呂敷の上にまとめておけばそれで良い。あと、包帯とガーゼも取れよ」
「へいへい」

 彼が脱いでいる間に、車の中から2リットルのペットボトル3本に入ったご神水とバスタオルを取り出し、2本のペットボトルの上の部分をカッターで切り取って、水を出しやすくしておく。
 脱ぎ終えたというので、不本意ながら、ペットボトルとバスタオルを持って簡易更衣室の中に入る。

「な、何だよお前入って来んのかよ!」
「私だってそんなもの見たくはない。で、全部脱いでるみたいだな」

 衣類の全てが風呂敷の上にあるのを確認してから、目の前の全裸の男に、頭からご神水をかける。もちろん、風呂敷を背に、それに水がかからないようにして。

「うわ、冷って……いきなり水かける奴があるか」
「禊の代わりだ。もう一本行くぞ」
「ちょ、待てって……!」

 有無を言わせずにもう一本を何回かに分けて全身にかけ、その上からバスタオルを被せる。
 残った1本の少しを使って、自分の手を清めて、車の中から枝と、ダッシュボードに丁度良く入っていたライターのオイルと、彼の鞄の中からライターを取り出す。ついでに後部座席から、先ほど彼が抜いだ服を取り出す。
 それらを持って、もう一度簡易更衣室に入る頃には、彼は全身の水分を拭き取り終わったらしく、バスタオルで体をくるんでいた。精神衛生上非常によろしい。

「ほら、もう服着ていいぞ」
「やっとか……で、それ、どうするんだ」
「よく燃える枝とオイルとライターを持ってるんだから、察しがつくだろう?」

 返事を待たずに、風呂敷の上に積まれた衣類に、ライターのオイルを回しかける。その後、束ねた枝にライターで火をつけて、衣類の山の上に投げ落とす。余分なプラスチックのついていない石油原料のジャージと、安い下着、足袋と草履は面白いように燃える。燃え尽きるまでにさほど時間はかからないだろう。その間に、彼の傷口にガーゼをあてて、新しい包帯で止めてやる。
 燃え尽きた後、そこに残りのペットボトルの中身をかけて、簡易更衣室も撤収する。
 そして燃えかすだけを残して、私たちは車に乗り込み、山を下った。
 もちろん、一度も振り返らずに。

(なあ、お前もしかして、今まで一緒に行った所でも、)
(色々見えてた)
(……これから護身のためにお前を誘うべきか、保身のために一人で行くか迷うな)
(今回誰のお蔭でこうやって切り抜けられたと思ってるんだ、誘えよ)
(誰のせいで怪我がここまで酷くなったと……)

 :終:

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 →おまけのこと・蛇足