: 眠りは海に溺れるように :

  壱

 眠りと云うものは、限りなく、ほとんど、死に近いのではないだろうか。今日も先生は布団の中で丸まって、死んだように眠り込んでいる。
 この人はいつもこうだ。昼夜季節問わずに昏々と眠り続けて、起きたと思えば滔々と見た夢の話を語り始める。僕はと言えば、先生の見た夢を逐一記録している。そのために此処に居る。
 この家で一番大きい柱時計が、広く仄かに暗い部屋でこちこちと時を刻んでいる中、今日も先生は眠っている。身じろぎひとつしない。まるで死の演習でもしているかのよう。いつか、眠るつもりで目を閉じたまま、この人は二度と起き上がらないのではないか。そんな薄ら寒い妄想が頭をよぎる。慌ててそれを振り払って、僕は高い天井の梁を見上げる。先生が眠っている間、僕にはひとりで考える時間が厭と言うほどありすぎる。
 広いこの木造平屋建ての家の中で、生きた人間は僕と先生だけだ。にもかかわらず、この家の板張りの廊下は襖を開ければいつも黒々と光っている。ひんやりとしたこの家の中には、もしかしたら何か居るのかも知れない。別に、居たとしても驚きはしないけれど。何時だって隅の暗がりには何か不思議な気配がある。家主が家主だから、色々なものが集まるのだろうと僕はひとり納得する。
 かち、と針の合わさる音が響いて、柱時計がぼおん、ぼおんと時を打った。それに合わせるかのように、布団の中の先生の、色素の薄い目が開いた。いつもの寝起きの如く、ぼんやりと焦点の定まらない目。
「先生、お早う御座います」
 声を掛けると、ぼんやりとしていた目に光が灯った。むくりと上半身を起こして、焦点を僕の上に合わせた。が、しかし、それだけだった。言葉は発しない。
「・・・先生?起きてますよね」
「・・・起きています、穂積君。お早う御座います」
「はい、お早う御座います」
 しばらくの沈黙。先生は僕を見たまま、じいっと何かを考えているのか、少し首を傾げて沈黙していたけれど、その内、ふっと首を上げて、静かに口を開いた。
「穂積君。夢を、見ました」
「はい」
「聞いてくれますか?」
「ええ。僕はそのために此処に居ます。どうぞ、聞かせて下さい」
 そう言いながら僕はいつも傍に置いてある、もう手に馴染んだ、冷たく丸みを帯びた万年筆と、もう幾つもの文字で埋め尽くされ頁が少なくなってきたノートを用意する。先生は僕がそれらを小さな黒塗りの文机の上に置いたのを確認すると、冴えていた目を俄かにまた虚に向けて、前を向いて、すう、と静かに息を吸い込んだ。毎回の儀式の準備の終了。空気が変わる。心なしか部屋の隅の闇がゆらりと濃くなったようだ。僕はいつものように緊張する右手にペンを握って、先生の語る言葉をじっと待つ。まるで神の言葉を一字一句逃すまいとする狂信者のようだと、少し哂いそうになってしまった。