: 星 :

 どうにも変だな、と零が思い始めたのは、ついさっき。
 いつの間にか、本当にどうして気付かなかったのか、確実に見覚えの無い場所に出ていた。相変わらず、周囲は樹木に囲まれていて、見通しが利かないが、空気が違うのが解る。ここは、自分の家の土地ではない。
「ねえ、兄さん」
「ここの、この先」
 話しかけた零の言葉に重なるように、蒼弥がそう呟いて、木立の奥を、細い指ですうっと指さした。
「この奥にあるんだ」
 そう言って、指を下ろして、先程とは随分違う、まるで熱にでも浮かされているかのような足取りで、蒼弥はふらふらと自分が指さした方向に向かって歩いていく。
 進んだ先には、一本の巨大な木の周りがぽっかりと拓けている、小さな空間があった。
 そこに着くなり、蒼弥は背後の木に背中を預け、かくりと膝を折って座り込んでしまった。
 それを見て、零は蒼弥の薄い肩に片手を添えて、もう片方で髪をそっと撫でながら、呟いた。
「兄さん、少し休んでなよ、すぐに迎えに来るから」
 すっと立って、木を見上げてみる。頭の中が、清流が流れ込んだように冴え渡った。
 零は静かに、拓けた空間に足を踏み入れ、巨木に向かった。

「やあ、あなたも、星を探しに?」
 不意に、横から声が聞こえた。零が声の聞こえた方を見ると、そこには一人の背の高い男が立っている。黒い帽子を被って、黒いコートを纏って、その男は闇に溶け入るように、そこに佇んでいた。しかし、零は驚かない。口の端に笑みすら浮かべて、明瞭に答える。
「ええ、逃げない内に」
「そうですね。どれです?」
「多分、あれでしょう」
 零は、彼の頭より少し上にあるか、と言う所に浮かぶ一つの光を指さした。そこには、マグネシウムを焚いたような青白い光が、その冷たい色をりんりんと振りまきながら浮いている。
「どうです、僕の星は美しいでしょう」
「ええ、ええ。まことに綺麗な星ですね。実に羨ましい」
「でもあなたの星も、十分綺麗だと思いますよ」
 そう言って、零は男の手に提げられた小振りの鳥かごを示す。その中には、冴え冴えと目の覚めるように蒼い光がやはり、りんとした色を零して収められていた。
「そうですか?ありがとう。それでは私は、これで・・・」
 そう言って、男はやはり闇に溶けるように去っていった。それを見届けて、零は何時の間にか手に提げていた、鉄製の洋燈を見る。
 ふと、小さな頃に、父に言われた言葉を思い出した。
――星が無くては、いけない。
 後ろを振り返る。もう、だれも、居ない。
――星が無いと、帰って来られない。
――『ヒキワタシには星が要る。零、これを覚えておきなさい、蒼弥が欲しいなら』
 父の声。何時だったか、今より子供の頃の記憶。
 なすべき事は、決定した。