: 父 :

 家人とともに蒼弥を家へ運び、緋彦を見送った零は、その足で、父、総二郎の部屋へ向かった。家の一番奥に位置する家長の部屋までの廊下は、薄暗い。それは部屋の中も例外ではなかった。薄暗い部屋は襖で二間に仕切られていて、病を得た総二郎は暫く前から奥の部屋に臥せっていた。手前の部屋、書斎となっている部屋に入り、仕切の襖の前に立って、零は襖の向こうの父に話しかける。
「父さん、起きてる?」
 その声に応えて、襖の向こうからくぐもった声がした。
「うん。ねえ、父さん、兄さんが死んだよ」
 少し間があり、また低い声が襖を通して零の耳に届く。それに静かに頷いて、零は薄暗い部屋を後にして、自室へ戻った。
 部屋に戻ると、机の上では、緋彦が来てからそのままにしてあった本が、窓から入る風にページを煽られていた。零は窓を閉めて、椅子に座り、その本を手に取った。何年も前に、総二郎から零に手渡された本だ。随分古いものらしく、表紙は何度か張り替えた跡がある。追加されたページも多い。一番新しい部分は、総二郎が書き足した部分だった。それは、この家に代々伝わってきている、人形師としての技術が詰め込まれた本だった。手渡された時から読み込んできて、もう読む場所もないかと考え、ここ暫くは流し読んでいただけのその本を、零は今、厳かに開き、一番始めのページから、文字を追い始めた。

 -----

 父は、僕が小さい頃から、僕をアトリエに呼んでは色々な事を話して聞かせて来た。そこで、僕は自分が父と血が繋がっていない事も知った。
 しかし、父は僕の「兄」であった蒼弥を、そこに呼んで講義した事は無かったように思う。否、無かった。それだけは、はっきりと、云える。想像だが、妄想ではない。
 今思い出してみれば、父は対外的に蒼弥を自分の息子、僕の兄だと口に出して説明した事は無かった。何も云わなくとも、客が勝手に判断してくれただろう。
 今、暗い部屋の中、目の前には黒く骨ばった洋燈が、それに入った綺麗な淡青色の星が、ある。
 結局、父も僕も、最早家自身の血とでも云うようなものに抗う事は、できなかったのだ。

 ……父が憧れた蒼弥も、さぞ美しかったに違いない。