: 緋 :

 人形展が開かれる。届けられた手紙の文面を見て、緋彦は急激に気分が重くなるのを感じた。ここ数年間、緋彦は意識的に人形と云う物から意識を逸らして生活を送ってきた。数年前、同級生の親友が殺されたあの夏の日から、緋彦の目には人形が彼の動かない体に重なり、その度に恐怖を覚えるのだった。
 あの日、木陰で静かに冷たくなっていた蒼弥を前に、緋彦は反射的に、人形だ、と呟いた。そしてその声を自分で認識し、背筋が凍るような感覚を覚えた。
――人形。元々人ではない、もの。生きていた人間とは違う。解ってるのに、あの怖ろしさは何だった?
 その感覚は、今でも緋彦に付き纏っている。しかし、緋彦が感じた恐怖はそれに対してのみでは無かった。
――あの時の、視線。
 零の、視線。それが、緋彦に恐怖を与えた。蒼弥の死体を前にして、微塵の動揺も見せなかった零は、何臆すること無く、命の抜けた蒼弥に触れた。まるで、まだ生きている人間に触れるようにごく自然に、蒼弥の肌を撫でた。
――あの後、俺を見た、眼だ。
 まるで、眼を通して緋彦の思考を、緋彦自身ですら気付いていない感情を、見透かし読み取るような視線が、緋彦に更に不安を与えた。緋彦に視線を合わせた直後、零はその眼の中に満足そうな光さえ点したのだった。
――零は、俺の中に何を見た?
 緋彦は、手元の封筒を見て、重い溜息をついた。封筒の裏には、「夏目総二郎・回顧展、及び、夏目零・初個展」と記されている。
 蒼弥と零の父親、夏目総二郎は、一般にはそれ程知られては居なかったが、その筋では世界的にも有名な人形師だった。主に球体関節人形を手がけ、総二郎の作った人形はどれも、繊細な表情に細部まで作りこまれた四肢、吸い付くような表面を持ち、そこに収まるべき魂さえ入れば、自ら意思を持ち動き出しそうだ、とまで評されていた。魂が入りさえすれば、動き出しそうな繊細さ、精密さであるのに、その肝心の魂が入っていない故に動かない。あと一歩で、人間に成り損ねた生き物。人形師夏目総二郎が作り出すものは、そういうものだった。
 蒼弥が死んで数ヵ月後、それに続くように病状が悪化して没した総二郎のその技術を、若干十六歳で受け継いだのが、事実上の一人息子となった零だった。
 その死の直前まで人形を作っていたと云われた総二郎の、「人形を作ること」への執着は並々でなかったと見えて、その教えを受けた零は、完全にその技術を体得していたと緋彦は聞いている。
 総二郎の葬式が終わってすぐに、本格的に人形の個人製作に取り組んだ零の、その作品を見て、訪問客は故人が生き返ったかのような心持を味わったことだろうと緋彦は想像する。
 表、一般に出て来ないとは云え、そんな総二郎の回顧展と、零の初個展である。多くの客が来るだろうそれに、緋彦は名指しで招待された。些か面食らったが、上手く断る理由も見つけられない。
――学生時代に一番親しかった友人の、身内の舞台だ。久し振りに、顔を見に行くと思えば、良いだろう。
 あまり気乗りのしない頭を振って、緋彦は展覧会の日程を確認した。