: 展 :

 人形展の会場には、緋彦が予想してたよりも多くの人が集っていた。予想外の人の多さに、緋彦は軽い眩暈を覚えた。
 緋彦が受付で招待状を見せると、待機していた係員が、案内を申し出てきた。
「九条緋彦様ですね?夏目さんから、あなたがいらっしゃったらお連れするように、と指示されていますので、ご案内致します」
 係員に案内されながら、緋彦は会場を眺める。美術館のスペースを借りて催されている人形展の会場は、少し薄暗い程度の照明で照らされていて、これから夜会でも開かれるような空気を作り出している。その会場のあちこちに、あるものは座り、あるものは立ち、あるものは抱き合い、あるものは眼を背け合い、光を跳ね返すガラス製の瞳の焦点を、何処か遠い所に合わせた人形たちが佇んでいる。
 係員の女性が、零を見つけたのか、途中で足を止める。
「…あら、お話し中ですね。申し訳ございません。少々、お待ちくださいね」
 そう云って、係員は会場の奥へと歩いて行った。緋彦が係員の目指す方向に目を向けてみると、会場に設えられた小型のテーブルのひとつに、向かい合って男がふたり座っていた。ひとりは、服と同じ色の真っ黒な布をかけた鳥かごを足元に置いている。
――多分、向かい側が零なんだろうけど、よく判らないな。
 何やら談笑しているように見えたが、緋彦のいる距離からではその会話は聞こえなかった。係員が戻ってくるまで待とうと決めた緋彦は、周りに展示されている人形に目を向ける。
 いくら周りが雑音に満ちていても、人形の周囲は無音だった。命の無い無音が、人形をすっぽりと包み込んでいるのだ。その人形たちの、動く一歩手前で氷結された時間が生み出す無音に、緋彦は馴染めない。
――俺は、何が怖い?いくら人間に似ていても、これは人形じゃないか。人ではない。蒼弥も、人形ではなかったのだから……駄目だ、倒れそうだ。
「――緋彦さん」
 足元がバランスを崩して、壁に手をつく直前、緋彦の背後で声が聞こえた。振り返ると、細身のスーツに身を包んだ零が居た。緋彦が零と会うのは、総二郎の葬式以来で、緋彦には、自分の後ろに立っていた人物が誰なのか、一瞬判らなかった。
「……零?」
「そうだよ、久し振り。判らなかった?」
「暫く、顔を見てなかったから…さっき話してた人は、もう良いのか?」
「ああ、うん、大丈夫だよ。今日は、久し振りに会った挨拶だけだったから」
「大丈夫なら良いんだけど。それにしても、背、伸びたな」
「高校で随分伸びたんだよ。それより、もう肩が凝るよ。これ、準備も殆ど自分でやったし、挨拶もしたし…人はこんなに来るし。父さんの葬式の時だって、こんなには来なかったのに」
 もううんざりだ、と零は肩を竦めて云った。その仕草に、緋彦は安堵し、緊張が解れたように感じた。暫く雑談を交わした後に、思い出した風に零が口を開く。
「そうだ、ねえ、緋彦さん」
「ん、何だ?」
「今日、わざわざ来て貰ったのはね、緋彦さんに特別、見せたいものがあるからなんだ」
「見せたいもの、って、個展の事じゃないのか?」
「これ?……いや、これは違うよ」
 会場を一瞥して、視線を緋彦に戻して、零は喉で小さく笑った。その瞳の奥に、蒼弥が死んだ時に感じた、心の底を見透かしているような冷たい光が宿ったのを見て、緋彦は、自分の中に生じた安堵の温度が下がったのを感じた。
「…こんなにざわついていると、ろくろく話も出来ないね。場所を変えようか、ついて来て」
 緋彦の頭の中では、嫌な予感がする、と警告が出ている。しかし、肝心の足は、先を歩く零の後をついて行く。緋彦は自分の体が制御できない焦りを感じたが、為す術も無く、大きな潮に飲み込まれる小船のように、零の後をついて行くしかなかった。当の零は、話しかけてくる人々を会釈でかわして、さながら森の中を進む猟犬のように、人ごみをすり抜けて行く。
 会場を抜け、展示室の裏手に出た。薄暗い廊下は細く長く、向かい側の壁にはいくつもの扉がある。
「こっちだよ。少し歩くのだけれど」
 零は躊躇無く廊下に踏み出し、奥へ向かって歩きだした。時折振り向いて、緋彦がついて来ている事を確認している。
――こんな所、この美術館に、あったか……?
 ふと、緋彦は自分が異世界に迷い込んだような気分になる。それもおかしくはない、と考えた頭を振って、緋彦は大きく息を吐いた。そんな緋彦の様子を一瞥してから、零は立ち止まった。
「ここだ。さあ、入って」
 零は正面の扉を押し開け、一歩先に入って緋彦を呼んだ。緋彦は、重い頭に手を添えて、部屋に足を踏み入れた。
 背後で、扉が閉まる。