: 柄杓と彼女とぬいぐるみ :

「船幽霊にさ」
 彼女は、そう語り始めた。
「船幽霊にさ、柄杓を渡すとさ、船が沈むまで、水を入れ続けるでしょう」
 そうだね、と僕はあいづちを打っておく。
「それで、船は沈みたくないから、底の抜けた柄杓を渡すでしょう」
 そうだね、と僕はまたあいづちを打つ。
「でも、底の抜けた柄杓を渡されても、彼等は水を入れよう、何とかして船を水で満たして沈めよう、って、そこの抜けた柄杓で海水を梳く訳」
 底の抜けた柄杓を渡されてなお、船に海水を満たして沈ませようと、それだけ考えて、機械的な動作で無言で無表情に、かつ腐りかけて、ひたすら柄杓を振るい続ける船幽霊。
 考えるだに不気味な光景だが、とりあえずあいづちを打っておく。
「つまりは、そう言う事なのよ」
 これ全部。そう言って、彼女は両手を投げ出して後ろに倒れこんだ。
 ぼすん、と音がして、部屋中、床中に山と重なったぬいぐるみ達がつぶれた。うぎゃあ。
「船幽霊は気付かないのよ」
 沈むのが嫌な船は、船が沈む事を願って止まない船幽霊に、底の抜けた柄杓を渡す。
 船幽霊はそれを受け取って、どうにか、どうにかこれで船を沈められないものか、と、自分の周りの尽きる事無い海水でもって、船を沈ませようと柄杓を振るう。
 しかし、いくら船幽霊が海水を掬っても、船の中には一向に水が溜まらない。
 いくら船幽霊が柄杓を振るっても、船には一滴も水は入らない。
 そんな船幽霊を見ている船には、どんな表情が刻まれているのだろう?それは、きっと。
「つまりは、そう言う事なのよ」
 彼女は、二度目のこの言葉を呟いて、ぬいぐるみの中に頭をうずめた。だから、つぶれてるって、ぬいぐるみ。うぎゃあ。
「船幽霊は、そう考えたら綺麗かしら?」
 あきらめろ、と言いつつ渡した柄杓で、ひたすら船に水を満たそうとする船幽霊。そうだよ、とても美しいじゃないか。だから、きっと、そう。
「だから、私も、気付かないのよ」
 今度は、ぬいぐるみの耳を引っ張っている。うぎゃあ。
「気付かないのよ」
 と、また言って、彼女は眠ってしまった。
 どっちでも良いよ、と僕はそれに答えて、彼女の長い黒髪をいじる。
 どっちでも良いよ。僕にはどうせ何も言えないし。君と誰かさんの問題だし。
 でも、僕は船に同感だ。だから、きっと。ねえ?

 船は、幽霊を見て、嗤っているに違いない。

 :終: