: 鈍色記憶譚01 :

 -ある村の話-

 ある山の中の村が滅びました。あの、雪の降った後の日の。お客様も、知っていらっしゃるでしょう?え?覚えがない?そうですか、覚えていらっしゃらない・・・じゃあ、思い出させて差し上げましょう。
 その村が静かに、一夜の内に滅んだのを、最初に見つけたのは、いつも村に来る商人でした。
 一番乗りで、まだ荒らされてもいない、綺麗なままの村の惨状を見て、彼は腰を抜かしてしまいましたが、それでも大急ぎでふもとの町の駐在さんのもとへ駆けつけました。そして、それはもう、すごい勢いで村の様子を語り始めたのでした。その、勢いのつきすぎた言葉はほとんど聞き取れず、かろうじて駐在さんの耳に残ったのが、

 「皆、眼を抜かれているんだ。皆、死んでいるんだ。」

 実際に、駐在さんが村に行きますと、商人の言ったとおり、村の全員が死んでいました。
 どの村人も、胸を裂かれて、眼を、抜き取られて。
 村の地面は、先日降って固まった白い雪の上に、村人たちの赤い命の跡が染み込んで、赤黒くぎらぎらと輝いていました。空から見れば、雪で白いお化粧をした山の中に、ぽつんとひとつ、赤い薔薇の花が、それはきれいに見えたことでしょう。
 駐在さんは、少し風化した、けれど村中にこびりついて離れない、鉄のにおいにむせながら、律儀に一軒一軒家を回っていきました。けれど、どの家も結果は同じ。村人は全員、外で薔薇の材料です。
 ただひとつ、例外の家がありました。ある一軒の家に入った途端、今までに無い、こもった生臭さが、駐在さんの鼻をつきました。
 目の前を見ると、ひとりの女の子が、やっぱり死んでいました。白い床の上に、赤く、幾筋も命の痕が残って、それはあたかも、床に広がる一枚の、びろうどの絨毯のようでした。
 女の子は、他の村人と違って、家の中でひとりで布になっていましたが、彼女には、もうひとつ、村人と違う点がありました。それは、頭。女の子の胸にはキズはひとつも無く、頭を、打ち抜かれていました。部屋にこもった生臭いにおいの素のひとつは、それです。この女の子も、やっぱり眼がありません。
 これは、大事件だ。駐在さんは、急いでふもとの町へ戻り、本部のひとに村の惨状を知らせました。

 「大変です、皆、死んでいるんです。眼が、抜き取られているんです。」

 さて、この後、この事件が国中に知れ渡り、解決することなく迷宮入りになったのは別の話。
 その間の、駐在さんの、推測の推理の出来のよさと、それが真相だと信じられた探偵劇も、別の話。
 雪がカチカチに凍っていて手がつけられず、春の雪解け水が、少し赤くて鉄の味がしたのも、別の話。

 ・・・じゃあ、この後何を話すかって?
 それは、この村に起きた、本当の話。駐在さんが思っていたほどフクザツじゃない話。
 簡単に言うなら、ひとりのかわいい女の子のお話。
 ・・・こんな血塗れの話に、かわいい女の子は似合わないですか?
 お客様、それは間違いですよ。解ってないなぁ。綺麗なものにこそ、こういう話も似合うのですよ。
 それでは、どうぞ、お楽しみ下さい。これより、開幕で御座います・・・。

* * *

 その女の子は、とても綺麗で、かわいくて、おしとやかで、村一番の女の子でした。
 そんな女の子は、ある日突然、気付きました。
  『私は、私の知らないところで、知らない内に、どんどん増えてく』
 え?何を言っているのか解らない?・・・じゃあ、このヒトの記憶を覗いてみましょうか・・・

  『あぁ、ダメ、どうしても、ダメ。もう、私の口から出た言葉が、信じられないの。
  “おはよう”って、言ってもダメなの。声が私の口から出てもまるで、他の人が話してるみたい。私じゃない、他の人が。
  だってほら、もう、あなたに何を言ったのかも忘れちゃうわ。
  だめなのよ、私がいくら私のコトバを言ったって、あなたの私はこの私のコトバを言っていないわ。
  あなたの私はホントウなの?私のホントウは、あなたの私のウソかも知れないわ。
  だから、あなたの私は、この私じゃないの。
  私と同じみたいな、私と違う私をつくらないで、私はこの私がホントウなの。
  それでもダメね、私のホントウは、あなたの私に捻じ曲げられちゃうわ。何を言ったって。
  あなたが私を見るたびに、あなたの私は、私から離れていくの。
  “君のことがわかるよ”って言ったって、それはあなたの私がわかったって事よ。当然なのよ、それは。
  だから、お願い、私を見ないで!これ以上、私じゃない私をつくらないで!
  あなたの中に、私じゃない私をつくらないで・・・。
  私は、ひとりしかいないの。あなたのは、ちがうの。
  あなたの私がいるから、私はホントウでいられないの。私が私をわからなくなるの。

  だから、お願い。私を、見ないで。あなたの中の、私を消させて?』

――――ブツン。

 あぁ、このヒトの記憶は、ここで途切れてしまいましたね・・・。え?このヒトは誰かって?そりゃあ、女の子の言ってた“あなた”ですよ。覚えがありませんか?あなたに見せるために、ちょっとあちら側から来てもらったんです。何言ってるんですか、ちゃんと本物ですよ。ほら、眼もえぐれてるし、胸も裂けてるでしょう。何なら触ってみますか?冷たいですよ。え?結構、ですか、そうですか。つまんないなぁ。
 さて、もうお解かりでしょう?ブツンって音は、彼の記憶が途切れた音です。じゃあ、何で途切れたか?答えは単純、女の子はこう考えたのです。

 『あなたが見るたび、ちがう私ができてくの。私を見なければ、あなたの私はいなくなるかしら?』

 それで、ブツン。この時彼らは、夕食中だったらしくてですね。おいしいパンと、スープと一緒に、丁度良く手にナイフがあったって訳で。さぞ痛かったでしょう。そりゃ、眼がするりって訳には、ねぇ?
 さて、この彼、目が覚めて・・・眼が無いのに、目は覚めるんですねぇ。女の子にこう言ったそうです。

 「君は、こんなことする人じゃないよ。何かの冗談だろう?信じられない。」

 ・・・これは、大失敗でしょう。今までの女の子のコトバから、何も学んじゃあいない。お陰で、女の子はまた、気付いてしまいました。

 『あぁ、目が見えなくても、あなたのココロの中に、あなたの私はいるのね』

 そこで、女の子は考えました。

 『じゃあ、ココロの中のあなたの私は、どうやったらいなくなるかしら』

 心臓は・・・ココロって、言いますよね。

 『そうよ、ココロを消すには、胸を裂きましょう。あなたの事は愛しているけど、私の見てるあなたもきっと、ホントウのあなたじゃないわ。でも、愛してる。だけど、あなたの私を、私は愛せないの。これから私は、私のあなたを愛すから、さようなら』

 “あなた”が目を覚ましたとき、女の子は部屋を暖かくするために、薪を割っている最中でしてね。丁度良く手に斧があったって訳で。愛せないものは、とことん消したいんでしょうねぇ、ざっくり、やっちゃったみたいです。それが、彼の胸のキズ。女の子って、怖いですねぇ。お客様も、気をつけて下さいね。
 さて、ここまでなら、ただの男女の殺人劇ですが、これは、村全体の、猟奇事件として有名ですから・・・もちろん、続きがあります。
 薪割りついでに、彼を雪の上の薔薇に仕立て上げた女の子は、当然と言えば当然、外にいる訳ですから、村の人にその現場を見られてしまいました。大きな悲鳴が、まだ聞こえて来そうですよね、ここにも。
 それを聞いて、村人全員、何事かと集まります。そして、体の形も変わり果てた彼を見て、女の子を見て、大きく動揺しました。信じられないって。
 そりゃあ、そうです。女の子は、綺麗で、かわいくて、おしとやかで、村一番の女の子で、こういう血塗れとは、今まで縁もゆかりも無かったのですから。
  『ウソだろう?君はこんな事しない子だよ。そうだろう?』
  『あなたは、こんな事する子じゃないはずだわ、どうしたの?』
 あらあら、皆さん、言っちゃいましたねぇ・・・女の子は、これを聞いて、たいそう悲しんだようです。
  『あぁ、誰の中にも私がいるのね。皆の中に、私じゃない私がいるのね。なら仕方ないわ。私は、私の皆を愛すの。皆の中の私は私じゃないの。私は、私じゃない私を愛せないの。さようなら』
 そう言った時、丁度良く、村に風が吹きまして、ふっ、と村の全ての火が消えました。山の中ですから、電気もありません。本物の暗闇が、辺りを覆いました・・・丁度、こんな風に・・・
 お客さん、そんなに驚かないで下さいよ・・・今、蝋燭に火を点けますから。
 その暗闇と、村人たちの混乱に乗じて女の子、手にした斧で、ざくざく、つぎつぎと。もう、その手つきの鮮やかさと言ったらお客様、見ほれる位でしたよ。全部終わった後、女の子はこう思ったそうです。
  『あぁ、皆の私は、これで全員いなくなったかしら?もう、私はホンモノかしら?でも、まだ皆は眼があるわ。いつかその眼で、また私を見るかもしれないわ』
 そして、台所から、あのナイフを持って来ました。しばらくの間、村の中には、ブツン、ブツン、って音が響いてたみたいですね・・・。ですが、これで、村人の中の女の子は、いなくなりました。
 ・・・そう、村人の中の女の子は、いなくなりました。
 ちょっとすっきりして、家に帰った女の子は、おいしい紅茶を飲んでから、こう思いました

  『これで、皆の中の私はいなくなったわ。私の私はホントウかしら?』

 ・・・私のわたし、ですか。

  『私の、私?・・・ちがうわ、私の私もホンモノじゃないわ。私の中にも、私がいるのね、私の私はホントウの私じゃないのね。どうしよう、私の私のホントウの私は、私の中に私を作った私も、私の私も愛してくれないわ、きっと。そうよ、私は私だけど、やっぱり違うのよ・・・悲しいわ。ダメなのよ、私に、私が見えてたら、だめなのよ』

 女の子は、気付いてしまいました。自分が見ている自分は、自分が作った自分像だって。
 ・・・手元には、皆の眼を切ったナイフが、ありましたね。
 女の子は、眼がなくなって、ぽっかりと黒い穴の開いた目に涙を流しながら、また、考えます。
  『私にはもう私が見えないけど、やっぱり、私の私は消えないのね。しょうがないわよね、私はホントウの私に愛されたいもの。私の私を、ホントウの私はきっと愛せないものね。ホントウの私を、私は知らないけど、私の私がいなくなったら、私の私をつくった私を愛してね』
 そして、手元を探りますが、斧は外です。
  『うーん・・・あぁ、胸じゃなくても良いのよ、考えてるのは頭なのよ。だから、頭をなくしましょう。私は、私に愛されたいの。さようなら』
 女の子がいたのは居間で、その部屋には、女の子のおじいさんの狩ったシカの首の剥製の下に、おじいさんの猟銃があった訳で・・・

 村でいちばん綺麗で、かわいくて、おしとやかだった女の子は
 赤いドレスも似合っていたそうです。

* * *

 これが、村に起こった事件の真相です。ね、単純な話でしょう?かわいい女の子の話です。
 え?何で私が知ってるのかって?それはお客様、言ってはつまらなくなりますよ。どうしても知りたいって言うなら、私はその村にいた一匹の犬だった、って事にでもしておいて下さいよ。ほら、私の髪は、一筋だけ赤いでしょう、女の子の血の色ですよ、コレ・・・冗談ですって。

 さぁさぁ、お話も終わりました。血塗れの話のオチなんて、案外、こんなにつまらないものなんですよ。謎でも何でもないんです、これが。
 え?あぁ、全部思い出しましたか、そうですか。それは良かった。

 さぁさぁ、お客様、記憶が戻ったならお解かりでしょう?早めにお帰りください。抜かれた眼の視力が失われない内に、魂が体に戻る前に。さぁ、この薔薇を持ってお行きなさい。この白い薔薇が真っ赤に染まる前に、山を下りて、ご自分の墓石の下にお帰りなさい。さっき協力していただいたあなたの体は、もう戻っていますよ。

 それでは、これにて閉幕で御座います。道化はこの地を去りましょう。さようなら、いい夢を。

 :閉幕: