: 手帳/番外/晴天プラネタリウム :

 この建物は廃墟の街並みを抜けた先の丘に、ぽつんと建っている。いや、建っている、と云うよりも、建っていた、だろうか。何せ、この建物は外装がほとんど剥がれ落ち、弧を描く無機質な鉄骨がむき出しになっているのだから。中に入って見上げれば、鉄骨に無数の鳩が留まって羽を休めているのが見える。
 この建物はその昔、プラネタリウム、と呼ばれていたらしい。私がここの解説員になる時、先代に説明された。先代は、初対面の私に、お前が来るのを待っていた、と云った。

『ほら、この機械があるだろ?これに電気を送って、この天井いっぱいに星空を映し出したんだと』
 先代はそう云って、今や鉄骨だけの天井を、あたかもそこに真っ白な天幕が張られているかのように指差した。『今でもこの機械、動くんだぜ』とも云って、誇らしげに奇妙な形の機械をぽんぽんと叩いた。
『天幕も無いのに、見に来る人もいないのに?』
『その内分かる。俺も、お前に見といてもらわないと引継ぎできねえしな』
 それまで気長に待て、と、先代は色の褪せてクッションも疎らになった据付のソファに横になった。鉄骨の上の鳩の一羽が喉で転がるように啼いた。
 その一ヵ月後、「その内」の日が来た。私が正式にこのプラネタリウムの解説員を引き継いだ日でもある。
 その日は朝から晴れ渡っていて、頭上には鳩の隙間を縫って深く深く、引き込まれそうな程の蒼い空が見えた。先代は早朝からプラネタリウムの外で芝生に寝そべり、天を仰いでいた。
『なあ、すげーぞこれ。綺麗なもんだなあ』
 まるで空の蒼が布となり掴めると思っているように、先代は宙に手を泳がせた。
『ずっと、こんな空を見てみたかった』
 先代は、日暮れまでずっとそうしていた。廃墟の向こうに日が沈みきったのを名残惜しそうに見届けて、ようやく立ち上がった。
『さて、今日は大仕事だ』
 日の無くなった丘の上、プラネタリウムの中で、先代は懐中電灯を片手に、私に目の前の機械の使い方を説いた。
『覚え切れるでしょうか』
『覚えきれる。俺だって覚えられたんだ。それに、一度やっちまえば忘れられねえよ』
『はあ・・・』
『それで最後に、これ鳴らせ』
 先代はそう云って、私に年代物のピストルを手渡した。
 その夜中。そろそろだな、と先代が呟くと、その言葉を待っていたかのように、廃墟と化したプラネタリウムの周りに数多の燐光が現れた。
『な・・・なんですか、アレ』
『お客、だよ。彼らは、今日旅に出る。世界がこうなる前は、ちゃんとこの国にも葬送の儀式があったんだけどな。もう、不完全なのしか残ってないから、こうやってこの日に、ここに集まってくる』
『ここだって、葬儀屋じゃないですよ』
『でもほら、天に近いだろう?何せ、ここじゃ夜空を扱ってんだ』
『でも、ここには天幕も無いし、』
 そこまで云った私の口に手をかぶせて、先代はにやりと笑った。
『まあ、良いから。見てりゃ分かるんだって』
 先代はひょいとプラネタリウムの機械の上に乗って、周りをぐるりと見回し、昔の手品師か道化のするような大仰な礼をした。身を起こして、すっと座席を指した。すると、外に集まっていた燐光がひとつひとつ入ってきて、行儀良くソファに着く。
『後は説明したとおりだ。見ててやるからやってみな』
 ぽん、と肩を叩かれた。夕方教えてもらったとおりに、機械の電源を入れる。頭上が、ぱっと明るくなった。驚いて上を見た。
『・・・鳩』
 複雑に組み合わさった鉄骨と、そこに巻きついた蔦には、いつもの倍以上の鳩が羽を広げて留まっていた。その羽毛の天幕に、機械から出た光が映っている。
『そう云うこと。ほら、ぼんやりすんなよ』
『あ・・・はい!』
 夜空のピントを合わせる。頭をフル回転させて、覚えたての口上を述べる。右手に見えるのが、水晶宮。その斜め左上には龍の心臓。北の空の果てにぼんやりと見える白いもやは、蜃気楼の街。私の声が燐光で満たされた空間に染み渡っていく。不思議と、言葉はすらすらと紡がれた。
『・・・最後に、真上に見えるのが、終着点、空の果て、です。これで、主な駅の説明を終了します。それでは、皆様、出立のお時間が近づいております。お忘れ物がございませんよう、今一度ご確認のうえ、ご自分のシャトルにお乗りください』
 燐光が、すう、と上にあがっていき、鳩に吸い込まれた。燐光を受け止めた鳩は、ぼんやりと光を宿す。天井は瞬く間に淡い光に覆われた。私はピストルを構える。
『それでは、皆様』
 引き金に指をかける。
『良い旅を』
 ぱん、と云う音とともに、鳩が一斉に飛立つ。まるで手品だ。鳩は夜空の方々へ散っていった。
 席はもうがらんとしている。明かりもなくなった。急に、今までの事が夢だったように思えてくる。ピストルを下ろすと、横で拍手の音が聞こえた。闇に慣れてきた目に、先代が満足そうな顔で手を叩いているのが見えた。
『よくやったな』
『ありがとう、ございます。自分でも信じられない』
『でももう、忘れないだろ?』
『ええ、確かに』
『これで、引継ぎ成功だ。俺も、これでようやく』
 その時、鉄骨で鳩が一羽、啼いた。その声で、先代の言葉尻を捉えることが出来なかった。
『あれ、もう、帰ってきたんですかね』
『違う』
『じゃあ、誰の』
『あれは俺のシャトル』
『まさか』
『気付いてなかった?最初に云ったじゃないか、お前が来るのをずっと待ってた。絶えさせたくなかった。待ってたんだ、ずっと』
『じゃあ、もう、あなたは』
『そう云うこと。ああ、もう夜が明ける。後は頼んだ』
 返事をする前に、鳩が先代に向かって急降下してきた。そのまま、先代をすり抜けると、先代の姿が掻き消えた。視界の端を、燐光を纏った鳩が上昇して、プラネタリウムの上空をくるくると旋回し始めた。空はもう白み始めていた。
『・・・良い旅を』
 ピストルをもう一発。鳩が急上昇。同時に、朝日が頭を覗かせた。

 こうして、私は正式に3代目の解説員になった。あれからもう随分と年が過ぎて行った。毎年、年に一度プラネタリウムの解説を行うけれど、あの日以来、先代の見蕩れたあの美しい青空は見ていない。
 私が次の代に仕事を引き継ぐときも、あのような空であれば良い、と思う。

 :終: