: 人が変わる話 :

 もうかれこれ半年も前の話でしょうか、若気の至りって云うか…友人とツーリングに行って、山の斜面で綺麗に事故ったんです。はは、馬鹿ですよね。それで、バイクが道から飛び出て、宙に浮いたのは覚えてるんですが…そこから先、あんまり事故の様子、覚えてないんですね。でも、世界がゆっくりに見えたのは、よく覚えてます。本当にああなるんですね。
 ああ、それで、そうそう。事故にあって助かった人とか、死にかけた人が、よく死後の世界の入り口の話をするじゃないですか。そう云う話を、しようと思うんです。ええ、僕も見たんですよ、実は。自慢じゃないですけどね。あれは…そんなに良いもんじゃなかったけどなぁ…僕だけかも知れません。こんな話、冗談半分にしか思われませんけど…まあ、ちょっとしたネタにはなりますよ。じゃあ、話しますね。
 えーと、じゃあ、事故ったのは話したから、ふわっと浮いた後から、話そうかな。それで、浮いたと思ったら、衝撃があって、ああ、これは死ぬかも、と思いました。ちょっとちらちら見えてたんですけど、もう足なんかバッキバキ、真っ赤に染まっちゃってて、痛いって云うかもう感覚が無かったです。目の前は真っ赤になってるし、ちょっと触ったアバラなんか、ぐちゃって云う感じで…それで、ブラックアウト。
 その内、視界が白くなっていって、それで、ベタっちゃベタなんですけどね、すごく綺麗な日の光が射す、柔らかい草原に立ってたんです。ちょっと向こうには幅の広い、浅い川が流れてて、空気なんかもすごい澄んでたんです。それで、ああ僕は死に掛けてるんだ、って思って…周りをぐるーっと見回してみました。
 すると、ちょっと4,5メートルくらい先に、何か人っぽいのがいたんですよ。膝を抱えて、ぽつんと座ってる。もしかしたら案内人かも知れない、と思って近づいてみると、向こうも僕に気付いたみたいで、川に向けていた顔をこっちに向けて、にっこり笑って、座ったまま話しかけてきました。
「やあ、はじめまして」
「あ、はい…はじめまして」
「見てたよ」
「え?」
「君、バイクで事故ってここに来たでしょう」
 若いねえ、と云って、その人…男でしたから、彼、はちょっと笑っていました。
「馬鹿ですよね」
「いやぁ、俺にも覚えがあるよ。ちょっと飛ばしてみたくなるんだよねえ、ああいうカーブってさ。分かるよ。でも、災難だったね」
「あのう…」
「なんだい?」
「ここ、は…」
「話にも聞いたことあるんじゃない?あの世への入り口、ってやつ、かな」
「やっぱりそうですか…気持ちの良いところですね」
「…そう、だね」
 彼はそう云って、周りを少し見回して、思い出したように云いました。
「そうそう、君ね」
「はい?」
「君の体、今どうなってるか、知ってる?」
「いえ…」
「病院にあるんだけどね、ねえ、ちょっと見てみない?」
 そう云って、彼はにこにこ笑いながら、地面を指差しました。そして僕が返事をする間もなく、彼は両手を地面に刺して、布を引き裂くように、地面を引き裂いた。そのできた穴、ですね。それを覗いたら、病院の集中治療室の鳥瞰図。びっくりですよね。
「あの手術台に乗ってるのが、君の体だよ」
 それは、目も当てられないような悲惨な体でした。片目はつぶれて、手足は折れて骨が覗いてるし、火傷まみれで、爪もいくらか剥がれてるし…見たとたん、ああ、これで自分はこのままここに居るしかない、もう体に戻れない、死ぬんだ、って思いましたねえ…彼もそれを見透かしたように、云うんですよ。
「ねえ、君」
「は、はい…」
「君ね、まだ戻れるんだよ」
「戻れる?」
「そう、現世に。今戻ると、あのぐちゃぐちゃの体に入る事になるけど」
「痛いですか?」
「そりゃあねえ、痛いだろうねえ。だって見てごらん、ほら、あんなに骨が飛び出てる。うわぁ、腹部なんてほら、もうちょっとで内臓が飛び出そうだね」
「でも、生きられる…?」
「さあ、どうだろうね。戻れるのは、確かだよ。手術台の上では、君はまだ生きてるからね。戻るなら、今しかないよ。どうする?戻してあげようか」
 僕は迷いました。そりゃあ迷いますよ。戻れるって云っても、戻るのはあのぐちゃぐちゃの体な訳で。手術台の上で激痛にまみれて生きていても、手術が成功するとも限らない。だったら心地の良いここで、あの世に渡ってしまった方が…って。そうして、下の自分の惨劇に絶句しながら迷う僕を見て、彼は言葉を続けました。
「でね、君が……って云うならさ…」
「はい?」
 彼の声があまりにも小さくて聞き取りにくかったから、僕は聞きなおしました。すると、彼はさっきよりも大きな笑顔で、云ったんです。
「君が、戻りたくない、って云うなら…俺が、入っても良いかな?」
「あの体に、ですか…?」
「そう。何も、わざわざ痛い思いして君が戻ることも無いよね?」
「痛いのは、」
「嫌だろう?」
「そうですけど」
「じゃあ、良いじゃない。君は痛いのは嫌だ。助かるかも分からない。良いじゃないか。それなら俺が入っても、いいだろ?」
「あの、」
「ここは気持ちが良いし、ほら、むこうにも懐かしい顔が見えないか?ここは苦痛も無い。いいだろ?」
「あの、僕は…」
「まさか!戻るって云うのか、あの体に?よく見てみろよ、もうあんなに死に近づいてる。なあ、痛いのが嫌なら俺と代わってくれよ、良いじゃないか、ずっと待ってたんだ、少しくらい。良いと思わないのか?なあ、云えよ、ほら、ここにいたいだろ?」
 急に辺りの空気が冷えて、光が翳った気がしました。彼は焦点の定まらない目で僕を見ながら、口だけでにこにこにこにこ、笑いながら。まくし立てるように話します。
「まってた、まってたんだ、ずっと…こちとらずっとずっとずっとずっと、まってたんだ!逃がすと思うか、おもわないよなァ、せっかくの…ほら、いえよ、俺にゆずるって、いえよ、いたいのはいやだろう?いえってば。なあ、いいじゃないか、いいだろ?いいにきまってる。ほら、はやく、俺にあのからだ、くれよ、よこせよ…はやく!はやくはやくはやくはやく…」
 彼が僕に手を伸ばして、じゃり、と響いた鉄の音。見てみると、彼の足に、鎖が絡みついていたんです。彼の言葉と、行動と、ああこりゃヤバイ、痛くても何でも、体に戻らないといけない、って思って…いや、思う余裕もなかったかも。とにかく、怖かったんですよ。分かります?言葉だけじゃ分からないとは思いますけど…とにかくそこから離れたくて。彼の腕を潜り抜けて、穴の中にダイブしました。はは、あれで帰れなかったら今頃…うわ、怖いな。
 まあ、それで、僕はこうやって帰って来られたんですけどね。暫くして動けるようになって、一緒に事故った友人も、助かったって云うから、様子見に行ったんです。奴はね、僕よりも重傷だったみたいなんですけど、奇跡的に息を吹き返したって云うんで。
 病室に入る前に、ちょっとベッドを見ると、上半身を起こして窓の外を見てる。ああなんだ、意外に元気そうじゃないか、と一歩踏み入れた。すると、友人が何か呟いてるのが聞こえる。何かと思って、耳をそばだててみると…
「はいれた、やっと、ははっ、これで、はいれた、はいれたはいれたはいれたはいれた…」
 って、ずっと繰り返してる。ぶつぶつぶつぶつ、入れた、入れた、って。もう、気味が悪いじゃないですか。きっと、手術後で混乱してるんじゃないかって思って、声をかけたんですよ。
「おい、大丈夫か…?」
 すると、奴、今まで窓に向けた顔をぐるっと廻らせて、僕を見ました。その顔が…云わなくても分かるでしょうけど、笑ってるんですよ、あの顔で!にこにこにこにこ、ぞっとするような笑顔で。それで、僕と目が合ってもしばらく、入れた、入れたって、云ってたんです。それで、はっきりした声で、云うんですよ。
「お前、俺のこと、覚えてるんだろう?でも俺は入れたぞ」
 って…その後、僕は気絶したらしくて、目が覚めたら自分のベッドの上で。でも看護師さんたちが云うには、僕は廊下で倒れてたらしいんですけどね。傷も完治してないのに何やってんだって、怒られましたよ。だから、友人の部分はきっと夢か何かなのかも知れません。退院してから友人と顔を合わせても、ああ、今でもつるんでるんです、奴は至って事故前と同じでしたからね。
 ああ、でも…たまに、あいつが、僕を見て笑ってるんですよ。ちょっと死角に入った時とか、2人だけになった直後とか、一瞬なんですけど、あの嫌ぁな笑顔で、僕を見てることが、あるんですよねえ…
 まあ、こんな所です。ベタな話で、どうも済みません…でも、本当、事故ったら気をつけたほうが良いですよ。本体が助かるかも、と云われたら、すぐに飛びつかないと。はは、僕ですか?僕はもう、事故には細心の注意を払ってます。だってきっと、次に行ったら、居るのは奴でしょうから…友人の頼みが断れるかどうか…

(そう云って、彼は、実に嫌な笑顔で、笑った)
(気付いていないのだろうか、彼は事故前はあんな話し方ではなかったのに。どうして、誰も、)

 :終: