: とおいむかしの :

 その草原の街は、夏になると青く染まる。
 周囲を小高い丘に囲まれたその街は、普段は緑の中に浮かぶ白い街だ。建物の壁は、白い漆喰塗りで統一されている。その殆どが三階建て以上で、屋根が階段状になっている家も多い。その屋上に、芝生を敷いている家も珍しくは無い。バルコニーから空中道路にも繋がっていて、子供達が遊ぶ公園も、地上には無い。この街では、人々は地上を歩かない。人々が生活するのに必要な街の機能は、地面からひとつ上の層にある。家も道路も、壁は全て白い。草原の中の、空中に浮かぶ白い街。
 地上にあるのは、古い古い遺跡と農地だけだ。白い漆喰の街の下には、灰色の廃墟がある。そこは冒険好きの子供達の恰好の遊び場になっている。
 その街が、夏には様々な青に染まる。
 夏が始まる頃、節告げの鳥が鳴くと、街の人々はその家に伝わる青色の塗料を作り始める。充分な量の塗料が出来上がると、それを自宅の外壁一面に塗る。
 ある家では、使い込まれた長短様々な刷毛を使いこなして、老人が。ある家では、ホースを使って、互いに塗料を掛け合いながら、子供達が。ある家では、大胆にも屋上から流すように、恋人達が。街の通りや公園では、ペイントボールやバケツを使って、手の空いたものが。それぞれ微妙に異なる青色でもって、街を青く染め上げる。
 祭り騒ぎの中、一日で、街はその姿を一変させる。
 街を青く染め終えた日の夜には、人々は酒場で、家で、屋外で、グラスの縁に塩をつけて酒を飲む。この日だけは子供達もその酒を飲むことができる。
 次の日の早朝、靄が流れ込んで見えなくなった廃墟を下に、屋上から青く染まった街を見る。どこか、懐かしい気分になる。それはこの街の人々も同じのようだ。
「僕達は、昔から、先祖の記憶を残すためにこうしているんです」
 そう云ったのは、私が宿を借りている先の若者だ。彼もまだ日の昇りきらない街を見に来たらしい。
「僕は空かと思ったのですが、どうやら違ったみたいで。大昔、大陸の果てにあった景色だと云われています」
 ここは、大陸の果てからは遠く離れている。もうそんなものは大昔に、私達からは遠く離れたものになってしまった。
「実は僕達にも、この景色が何を表しているのか、解りません。名前も、残っていません」
 青色の、波打つ一枚の布になったかのような、この街の景色。
 私も、こんな景色は知らない。遠い昔の、遠い世界の果ての景色など、私には想像もつかなかった。空とは違うなら、この美しい青は何だったのだろう。
「それでも、名前を忘れても、この景色は今まで絶えませんでした」
 そう話す若者の顔は晴れやかだった。美しいものを残す民の自信。
「大昔の大陸の果てには、こんな色が、ずうっと広がっていたそうですよ。この塗料よりも透明な、青い色がうねって、砕けて、太陽のひかりにきらきらと輝くのだと」
 それは、どんなにか美しいだろうと思う。それが何なのか、名前も知らないが。
「ところで、どうですか、迎え酒でも」
 微笑んだ若者の手には、昨晩のスノウスタイルのグラスがふたつ。
 ありがたく受け取って、名も知らない美しい景色に乾杯した。

(古い記憶にグラスを傾けて、塩の味のする酒を飲み干す)

 :終: