: 山頂晴れて :

 ここは、高い山の上。山頂、雲を下に臨む。
 私はもう、長い間ここにいる。この場所の空気は薄いが、私には慣れたものだ。山の側面に私は居る。むき出しの岩肌から、時折見える人里を見る、昇る朝日を見る、鳥の山を越えて渡るのを見る。
 かつて海に暮らした私は、今は土の感触に親しくなり、鳥の目線で下界を見下ろしている。それは以前の私では到底、何万年かけても触れることの叶わぬ世界だった。得といえば、得だろう。
 しかしながら、私は、海が恋しい。今や遥か遠く、触れることの叶わぬほど遠くへ行ってしまった私の故郷。太陽から遠く、その光を揺らぐ水の底から見上げたあの景色が、たまらなく恋しい。もう戻れない。仲間は沈黙している。私も沈黙しているのだが、果たして彼らもこのように、延々と思考を巡らせているのだろうか。声を発することのない私たちには、互いにそれはわからない。そもそも、仲間が何処に居るのか知らない。近くに居るような気もするのだが、私の体はもう硬く、かつての弾力性は無い。仲間を探すために動くことは難しい。
 山頂は晴れている。
 海が恋しいといったが、ここの景色は、海底から見る景色と少し似ていた。雲がここまで上がってくれば、太陽の光は白く濁って不安定に揺らめく。驚いたのは、これほど太陽に近くなったというのに、ここが寒いと云うことだ。薄い空気に、揺らぐ太陽光、低い温度。何も見ないように意識を逸らせば、海底の重い音が聞こえるような気になるが、しかし、ここで聞こえてくるのは、押し寄せる空気の塊の唸りだけだ。どうにもならないこととはいえ、少し寂しい。
 山頂は晴れている。
 上に意識を向けると、美しい青い色が広がっていた。あれが、海なら良い。この晴れ間を伝って、空へ落ちて行きたい。
 長い間、閉じることの無かった意識が、閉じようとしている。最早目を持たぬ私の、以前は存在しなかった目蓋は、今や意識の蓋だ。それがどんな形をしているのか私にはわからないが。目を閉じない私の視界が暗転して、このように見えるようになったときにはもう、私は海から離されて、この山頂に居たのだった。
 山頂は、晴れているか?
 いよいよ周囲が見えなくなってきた。次に視界が戻ってきたときは、そう。
 あの青の中にいたい。
 大気が私の海になれば良い。

 (晴れた山頂、)
 (岩壁に、ふるい魚が一尾)

 :終: