: 博物館に眠るもの :

 このあたりで一番大きな博物館には、僕の友人が展示されている。いわゆるミイラという状態で。包帯でぐるぐる巻きの方ではなく、干からびてぱりぱりの方だ。ようやく見つけたと思ったら、このざまだ。彼はなにをしていたのだろう。間抜けにもほどがあると思う。
 街についた当初、彼を見つけたは良いけど、僕は誰にも見られずに彼と接触する方法を持っていなかった。とりあえず、一般客に紛れて、間抜けな奴の面を拝みに行ってやった。
 何というか、本当にミイラだった。そうか、ずっと寝ているとあんな風になるのか、と驚いたが、それにしてもそんなになるまで眠りこけているというのもどうかと思う。気付けよ。
 小さく手を振ると、僕に気づいたのか、こちらに意識を向ける気配を、彼の閉じて干からびた瞼の奥から感じた。何とかしてくれよ、という意志も感じたけど、一般人ばかりのその状況下で、何とも出来るわけがなかったから、後で、と視線で返して、その日はアパートに帰った。
 それから月に1度くらいの頻度で博物館に足を運んで、3年。僕は今、誰もいない夜中の博物館に居る。どうやったかと云うのは、そう複雑ではない。僕がこの街に馴染んだところで、深夜勤務の博物館の警備員になっただけだ。研修期間が思ったより長かった。でも、割と為になったと思う。
 大理石張りの博物館の床は、革靴で歩くと音が良く響く。なかなか楽しい。本当に泥棒でも居るかもしれないから、わざと足音を立ててみたりする。一応、これから自分が泥棒まがいのことをするとは云え、仕事は仕事だ。ちゃんとした巡回ルートを見回りながら、彼の元に行くことにした。博物館と繋がっている美術館も一緒に見回るから、だいぶ時間はかかるだろうけど、まあいいだろう。
 美術館はそんなに大きくはない。けれど、良い絵を揃えていると見えて、割と色々なところから来館者があるようだ。何だか懐かしい絵が飾ってあったりして、そうか、あの絵がこんな風に飾られるまでになったのか、と感慨深くもある。懐かしい顔が肖像画の中にあったりもする。当たり前のようだがもう居ない。美化されすぎて、もはや別人になっている絵もあって、なかなか面白い。
 一通り巡って、異常がないのを確かめた。余計な人間も、居ない。監視カメラとかガラスケースのロック、赤外線の感知器はまあ、所詮機械だからどうにでもなる。人間が居なければとりあえず、それで良い。奴のところに向かってやるとする。
 フロアの中央に鎮座している立派なガラスケースの中には、斜めに立てられた黒檀の棺と、その中に寝ている間抜けが収められている。ガラスケースをノックすると、意識がこちらに向いた。というか、今までまた寝ていたのだろうか。それは、寝すぎだ。あんたが夜に眠るなと云いたくなる。
「久しぶり」
――久しぶりだね。
「何でこんなことになった?」
――それがさー、ちょっと寝すぎたみたいなんだよね。
「まあ、見れば解るけど」
――ですよねー。
 かぴかぴのミイラの状態だと、流石に体を動かすのは難儀らしく、彼は直接言葉を頭に飛ばしてくる。
――まさか、こんなになってるとはねぇ……寝すぎた!って思って起きようと思ったら動かないし、棺桶の蓋は開いてるし、なんかすごい人いるし……寝姿を観察され続けるとか、とんだ公開羞恥プレイだよね。
「こっちだって驚いたよ、まさかあんたが寝てる棺桶ごと盗んでく輩が居るとは……足取りを追ってるうちに、あの城は文化遺産になっちゃうし。まあ、それ関連であんたはここに展示されてる訳だけど」
――ホントさあ、勘弁してほしいよー。いつの間にかおれの経歴とか城の様子とか発表されてんだもん……プライバシーの侵害だよこれ。訴訟起こせるよ。
「調度品もばらばらだしな。まあ、解剖されなくて良かったじゃないか」
――ちょっと頑張ってみた。
「遺体に下手に触れると呪われるって、結構な噂だった」
――いやあ、焼かれなくてよかった。
「そうだな。まあ、あんたが呪術師、あるいは人間では無かったのでは、って云う説まで出てるくらいだから」
――人前では普通だったと思うんだけどねえ……。
「城まで見られちゃ、どうしようもないだろ。資料はたくさんあるから」
――私生活まで覗かれちゃうとかないよ……本当、過去のものと判断すると人ってのは大胆だよねぇ。ちょっとはこっちが生きてる可能性も考えてほしいよね。
「それは無理だろ。それで、どうする?このまま展示されとく?」
――そりゃないよ。助けてー。
「はいはい……全く、感謝しろよ」
――悪いねえ。
 ガラスケースの中は、割と余裕がある。これなら僕1人入っても大丈夫そうだったから、ケースは壊さずに中に滑り込む。
――君も、大分サマになってきたんじゃない?
「どれだけ時間が経ったと思ってるんだよ、これくらいは、流石にできるようになってる」
――そんなに経っちゃったか。ずっとひとりにしてごめんね。
「別に。静かで快適なくらいだったよ。ていうかその云い方、気持ち悪い」
 とりあえず、手首でいいだろう。ポケットから折り畳み式のナイフを取り出して、刃を自分の左手首に当てる。切りすぎないように、血が吹き出さないように注意して、一息に刃を引く。まっすぐ、手首に一筋付いた傷から、最初は盛り上がるように、すぐに小さな川のように、血が流れ出てくる。その流れを指の方に誘導して、目の前の間抜けなミイラの口に突っ込む。彼の鋭い犬歯に引っかけて、血の出る箇所が増えた。手首からは彼の服に血がぼたぼたとこぼれているけれど、まあ良いだろう。どうせもう服の役割なんてほとんど果たしていない布切れだ。
 こぼれた血が干からびて変色した彼の肌に流れると、そこに煙が立って、血が触れた部分の肌が再生されるのが見える。指を突っ込んだ口の中も、湿ってくるのが解る。なま暖かい息が指に当たる。内側から再生していく彼の体は、ものの数分で血色の良い元の姿に戻る。指と手がぎしりと動いて、長い息を吐いて、僕の友人が身を起こす。
「あーあ、こんなにこぼして、勿体ないなあ」
 口から外した僕の指から、手首の傷まで、彼が舐め上げる。久しぶりのその感覚は、相変わらず気持ち悪かったけど、それで傷は消えて血も止まった。
「ごちそうさまでした。いやー、君の血も久しぶりだなぁ。食べ物変えた?」
「いきなりそれかよ。まあ、食生活はちょっと変わったかもね。最近、通常食は東洋のニホンショク?にしてる」
「健康的で結構じゃないか。ところで、どう?体、どっか崩れてたりとかしてないかな」
「損壊はないと思う。動かして変なところはないんだろ?いつも通りだ」
「いつも通り?いつものおれってどんな風?」
「あんた、本当にナルシストだよな……いつも通り、大変な美形でいらっしゃいます」
「それは嬉しいねえ。シェリダン君の小説もあながち間違いじゃないよね。でもあれは女の人だったか。あぁ、でも別にナルシストじゃないよ、君にほめられたいだけだよ」
「ホント何なの?寝ぼけてるの?」
「まさか、ちゃんと醒めてるよ」
「復活させなきゃよかった……本当にあんた、面倒くさい」
「そんなの君が一番解ってたくせにー」
 もう大分自由が利くようになったらしく、彼が抱きついてくる。上背があるのにのしかかられると、非常にうっとうしい。
「重い!」
「君は相変わらず細いな」
「だったらすぐに離れろよ……っていうか、服着ろ」
 動いた拍子に、元は服であり、現在はただのぼろと化している布切れが、解けて床に落ちた。つまり今の彼は全裸ということだ。全裸で抱きつくのは止めてほしい。
「裸で外に出るのは法律違反だっけ?」
「法律違反云々の前に、恥ずかしいとは思わないのか?」
「何が?」
「……この変態」
「良いねえ、その蔑むような目……相変わらず君は良いね」
「ような、じゃないから。蔑んでるから、明確に。それとホントそれ気持ち悪い。本気で気持ち悪い」
「はは、冗談冗談。で、おれは何を着ればいいのかな」
「とりあえず、これ」
 鞄の中に入れておいた服を渡す。変態のくせに好みが細かいから、納得しそうなものを探すのは少し手間取った。どうして僕がここまでやってやらなければならないのか。
「あー、良いねえ、カッコいいね、これ」
 どうやら気に入ったようだ。実際、それなりに見栄えのするものを選んでおいた。高く付いたが、それは後々回収させてもらう。カジュアル寄りの黒いスーツと帽子という、いかにもな出で立ちではあったが、まあそういうのが好きな質だから問題はないだろう。そして、確かにそれを身につけた格好は、実に様になっていた。
「何?そんなにじっと見つめちゃってー」
「黙ってれば本当に格好良いよな、あんたは」
「うわー、毒のある台詞。良いじゃない、内側まで知ってておれの友人やってくれてるんでしょ?」
「悔しいことにね」
「じゃあ諦めないとねえ。さて、じゃあそろそろ行こうか」
 ひとつ大きく欠伸をして、彼はガラスケースの外へと出ていく。流石、動きがスムーズだ。僕もそれに倣って、狭いガラスケースの中から離脱する。
「棺桶は置いてくのか?」
「まさか。城にも戻れないし、今はこれがおれの最後の領地だよ?持ってくに決まってるでしょ」
「何、カッコつけたこと云ってんだか……要するに枕が変わると眠れないんだろ」
「そうとも云う。まあ、とにかくこれと……何だ、ずいぶんここに持ってきたんだなぁ」
 周りを見回すと、城にあった、彼の気に入っていた調度品がいくつか展示されていた。要するに、この部屋はこの変態の特集部屋のようなものだったのだ。
「あっ、おれの手帳まで展示されてる……!!やだなー、人の手帳なんてみるもんじゃないよ」
「解読まではされてないみたいだよ、まだ」
「なら良いんだけどさぁ、読まれちゃ困るって云うか、恥ずかしすぎるよこんなの読まれたら」
「何書いてたんだよ……」
「君との夢のような生活の妄想を」
「今すぐ心臓に杭と銀の銃弾でも打ち込んでやろうか?」
「暴力はんたい!流石にそれはちょっと痛いよ……まあ、それは冗談としてー、手帳と……ステッキもある。蔵書はどこに行ったかな?」
「隣接してる図書館に、大抵は。まあ、あんたならすぐ回収できるだろ」
「蔵書印つけてるからね。じゃあ、本は後でいいか。後は、ペンと……ああ、これこれ。やだなあ、これまで展示されちゃったの?本当、プライバシーの侵害」
 彼が今までで一番大切そうにガラスの向こうから取り出したのは、棺と同じ黒檀で作られた小箱だった。
「小箱?」
「そう。見せたことなかったっけ?」
「知らないな」
「じゃあ問題。さて、中には何が入ってるでしょう」
 そう云って手渡された小箱は、振ると中でからからと小さな乾いた音が鳴った。
「……骨」
「正解。これはねえ、おれがこうなったきっかけの人の、最後のひとかけらなんだよ」
「……驚いたな」
「どうして?」
「あんたが、そんな感傷的なことするのかと思って」
「おれにだって思い出は必要だよ。君が未だに持ってるお守りみたいにね。それに、過去はいい友人なんだから、良くしてあげないと」
「刹那主義の塊みたいなあんたが?意外だ」
「そう?まあ、今まで思い出話はそんなにしなかったからね。じゃあ、これからは少しずつ昔のことを話そうか。色々教えてあげるよ」
「ふうん……それはちょっと、楽しみだな」
「……!」
 僕の言葉に、彼はひどく驚いた表情を浮かべた。何だというのだ。
「何」
「き、君がデレるなんて……!」
「は?デレてねえよ!」
「いやあ、素晴らしい!」
 彼は1人ではしゃいでいる。
「今じゃ、あれだろう?コネと金があれば楽に安全に病院から食糧だってもらえるそうじゃないか。時代がそんなに変わったなら、君がデレても不思議はないと思ったけど、まさか本当になるとは……」
 本当に、どうして僕はこんな奴を追いかけて復活までさせてしまったのだろうか。今更後悔しても遅いし、かといって今までのままではそれはそれで味気なかったのだが、頭が痛い。
 細々としたものは僕の鞄に、どうしても持っていきたいという燭台ひとつと食器ひとそろいその他小振りの調度品などは、彼が背負っている棺桶の中に入れて、堂々と警備員出入り口から、僕らは外に出た。明日は騒ぎになるだろうが、監視カメラにも僕らの姿は映っていないだろうし、誰も警備員としての僕の顔をうまく思い出せないはずだ。足はつかない。
 こうして、久方ぶりの再会は、久方ぶりの同居に姿を変えた。
 思っていた通り騒がしいというか、昔と変わらずうざったいものの、何十年もひとりで居た頃よりはよほどマシだ……と思うようにしている。

(とりあえず、どこに行こうか?本屋?)
(何で本屋……)
(この時代版のブラム・ストーカー系の本を買いにね)
(同族の事を書いた小説やら漫画をそんなに集めてどうするんだ)
(楽しいじゃない。それともバーにでも行く?)
(シルバーブレットでも頼むのか?)
(えっ、何で解ったの?)
(…………)

 :終: